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多くの日本人の知らない「日本人の聖地」橿原神宮ってどんなところ?奈良県中南部の鉄道路線にどんな影響を与えたの?

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今回は多くの日本人の知らない「日本人の聖地」橿原神宮にまつわる話を歴史を振り返りながら話していきたいと思います。

日本人の知らないのに日本人の聖地というのは変だとは思いますがしっかり説明していきますのでよろしくお願いいたします。

 

また、橿原神宮が関西の鉄道路線にどんな影響を与えたのかも記述しますので最後までお付き合いください。

 

橿原市にお住いの方はもしかすると郷土の歴史について学んだかもしれませんが、ここでは全国的にみて知らない日本人が多いという意味ですのでご了承ください。

 

 

そもそも橿原神宮って何?

 橿原神宮とは奈良県橿原市にある神社です。

 

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初代天皇である神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建されました。

 

諸説ありますが初代天皇の神武天皇から、現在の天皇陛下まで血筋がずっとつながっていると言われています。またこの先もこの血筋が続いていくことでもあります。このことを万世一系といいます。

君が代にもこのことは歌われていますので、よかったら君が代の歌詞の意味についても調べてみてください。

 

 

話をもとに戻しますが、橿原神宮は初代天皇神武天皇の祀られた神社であり、日本文化発祥の地、日本の聖地といっても過言ではない場所です。

戦前の''西暦''1940年にはこの地で昭和天皇の行幸・秋には紀元2600年祭が開かれ、この年、約1000万人が参詣のため訪れたといいます。皆さんのよく知っている伊勢神宮は約800万人だったそうなので、それよりも多い人が集まったということですね。

 

ここで、西暦1940年なのに紀元2600年と聞いて違和感を感じるとは思いますが、戦中まで神武天皇の即位を紀元とする暦が存在します。(いわゆる皇紀、筆者も零戦を調べていてこれに初めて気が付きました。)

 零式艦上戦闘機はこの年に採用したことから2600年のゼロをとって名付けられました。(通称ゼロ戦、零戦)

ちなみに自分の誕生年に660年足すと自分が皇紀何年に生まれたのかわかります。

よかったら調べてみてください。

 

 

歴史の授業で紀元前660年と日本が始まるのはそういった経緯があります。

皇紀から考えればその年は皇紀0年となるので紀元前660年を「日本の始まり」とするのは当然と考えることができます。

また、高校の時日本史を習っている方なら分かるとは思いますが、日本史の最初の方って奈良ばかり出てくるのはそういうことです。

古典でも天香具山という歌をやったと思います。

実はあなたの学生時代に習っていたことも多いんです。(まだ、中学生の人がいたらすみません。)

 

そんな「日本人の聖地」なのにどうして多くの日本人は知らないの?

これまで、橿原神宮が日本人の聖地という理由を書いてきましたが、なぜ多くの日本人が知らないのでしょうが?

それは1945年に日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に敗戦したからです。

戦後GHQによる施策で、国民の多くは天皇や日本国に対して否定的な意見を持つようになり、橿原神宮は参拝客が減ってしまいました

 

現在も建国記念日に橿原神宮が東京の新聞やテレビにも特に取り上げられることもなく、皇族の方が橿原神宮へ参拝するのはなぜ行くのかという疑問についての解決できるような内容がありません。

 

教育勅語は危ない思想だという印象をテレビでは放送しますが、実際の内容は理想の人間像を書いていたものでした。(詳しくは調べてみてください。)

それと同じで、理由はわかりませんが橿原神宮が日本人の聖地だと思われるのは何かまずいのではないかと思います。 

 

ただ、橿原神宮については日本人として知っておくべきです。

 

京都駅から近鉄特急で約55分の所にありますので、ぜひ一度「聖地巡礼」してみてください。

きっと日本の歴史をもっと知る旅になると思います。

 

近鉄特急おすすめです。1回乗りましたがまた乗りたいです。

 

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最後に橿原神宮が奈良県中南部の鉄道路線にどんな影響を与えたのかについて説明したいと思います。

 

橿原神宮があったからこそ、近鉄橿原線がある

 

この話をする前にひとつ頭の中においてほしいのは天皇主体の大日本帝国の時代の話であることは覚えておいてください。

日本国誕生のお祝いや天皇陛下の儀式があれば国民が移動する時代で皇国(天皇の国)であると考えられていた時代の話です。

また、自動車が普及しておらず、多くは鉄道移動だった時代の話です。

今と時代背景が大きく違いますのご注意ください。

また現在のJR線については橿原神宮で紀元2600年祭が行われるだいぶ前には開通していましたのでここでは解説しません。

 

先ほどの説明した橿原神宮で紀元2600年祭が行われたことが関西の路線網にとって大きなターニングポイントとなりました。

 

 

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近鉄橿原線の橿原神宮前駅で撮影。この路線も紀元2600年祭と大きく関係がある。

最初に近鉄と橿原神宮との関係について解説していきたいと思います。

 

橿原神宮で行われた紀元2600年祭の参詣客を輸送する目的で作られたのが1929年に開業した近鉄橿原線です

現在の橿原線のルートがなかったころは京都線が京都ー西大寺間しか開業していませんでしたが現在の大阪線は全線で開業していました。(当時は近鉄ではなく大阪電気軌道という会社が運営)

しかし、京都・奈良方面から橿原神宮まで輸送する経路がなく橿原神宮から遠い、八木駅(現在の大和八木)と桜井線の畝傍駅から徒歩しかありませんでした。

そのため、橿原神宮の目の前には駅がなく徒歩で約35分の道のりを歩くことになり、京都や奈良からアクセスが悪いのに加えて、橿原神宮に直結する駅が存在していませんでした。

 

このため、現在のJR線が遠回りなルートに対して橿原線は全線複線で建設し、最短距離で直線的に走り、現在のJR線に対し優位な路線となりました。

 

橿原線がなければ大和郡山市に近鉄の駅はできなかったでしょうし、京都から伊勢方面への特急も走らなかったことでしょう。

また、京都方面から吉野まで観光するルートも生まれなかったでしょうから、橿原神宮の存在は大きいです。

大和八木ー奈良までのアクセスも現在よりもずっと不便だったはずです。

 

現在近鉄橿原線は大和八木までは人がいますが、大和八木~橿原神宮前までの途中駅は日中は閑散としています。(人がいないことも結構多いそうで)

ぜひ、記事を読んでくださった方で橿原神宮と橿原線沿線を歩いていただけたら幸いです。

 そういえば、橿原市に奈良県庁が移転するかもしれません。

 

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